初めての、敗北。
葛西は入院先のベットに横になりながら、天井を睨みつけていた。
消毒液の匂いが煩わしい。
歯をくいしばりそうしてずっと拳を握り続けていると、
ふいにドアの向こうから声がした。
「葛西、入るぞ」
返事をする間もなくドアが開く。
青い学ランは今は見たくないと思ったが、
それを着ている本人がこいつなだけに、「入んな」とは言えなかった。
病室に入ってきた坂本は一瞬自分に向けて苦笑し、
それからこの狭い病室を見回した。
「いいなぁ、個室かよ」
「羨ましいならてめえが変われ」
「馬鹿言うな」
癖になっているのだろう。
そんな口調と笑顔で唯一俺に暴言を吐く奴。
学校の頭に勝負を挑んだのは昨日なのだ。
医者に流石にこの怪我だと、と、個室へと運ばれた。
もう少し良くなったら、団体部屋へと移されるだろう。
病室を見回していた坂本が、ベットの横に置かれている
椅子に腰をかけた。
「アバラ、大丈夫か?」
声のトーンも変わらないまま坂本が言った。
あまりにも普通に放たれた言葉に呆気にとられた。
「葛西?」
こいつはいつもそうだよな。
どっか天然入ってるよな。
そんなことを思い無言になっていると、漸く坂本は俺の顔を
覗き込んできた。
見慣れた瞳の奥に心配の色が見えた。
湧き上がる独占欲が増していく。
そんな顔をするな。
「平気だ。あんましゃべらせんな。アバラに響く」
「ああ」
そうだよな、と続けて、それからは坂本はずっと無言だった。
ただ「心配している」という表情は消えなかった。
意識せずそんな表情を見ていたら、
坂本が椅子から立ち上がり俺の顔に貼られたガーゼに触れた。
それから布団越しに腹へと頭を乗せてきた。
「葛西、何もしゃべんなくていいから」
調度アバラの折れていない場所だ。苦痛はない。
この、坂本の表情以外は。
坂本の顔はこちらへ向いている。
じっと、俺を見ていた。
何も言うなと言われたから、俺はただ坂本の顔だけ見ていた。
中学の時よりは骨格は安定してきただろうか。
笑顔はあまり変わらないな。
結構笑う奴なんだ。こいつは。
時間としては短かっただろう、目が合っていた間表情も変えずにいた坂本の
目が潤んできたと思ったら雫がこぼれ落ちてきた。
「おい・・・」
「・・・・・・・・・死ぬかと思った・・・・・・」
涙を隠そうともせず坂本は俺の顔を見ながら呟いた。
「バットで殴られた後もボコボコにされたじゃねえか・・・・
内臓に傷でもついてたら・・・なんてな」
最後の言葉は笑顔だった。
無理をしている顔だと感じられた。
「んなやわじゃねえ」
「ああ・・・そうだよな・・・」
俯いた坂本を見て、どれだけ心配をかけたかと分かった気がした。
「悪かったな」
「・・・うん」
「次は勝つ」
「葛西・・・?」
「このまま終わらせられるか」
そう言って、すぐ近くの坂本の頭へと手を伸ばす。
ストレートの髪を撫でると、坂本は気持ちよさげに目を閉じた。
そして、また涙が零れた。
手を伸ばし動かしていると流石にアバラが痛んだが、
この穏やかな顔を見ていたかった。
「俺、お前に言いたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「俺は、葛西のこと好きだから」
唐突に言われた告白。一瞬手が止まった。
坂本の目からまた涙が零れた。
嬉しかった。
みじめな自分を目の当たりにしただろう坂本が、そう言ってくれたのが嬉しかった。
しかし、何故泣くのか
「お前、他にも言ってんなよ」
「言うかよ馬鹿。俺が好きなのは葛西だ」
ずっと聞いていたくて、それでもこれ以上聞いてはいけない気がした。
「あいつらん中でんなこというのお前だけだぜ」
笑い半分で言った言葉だった。なのに坂本は身命な顔をした。
「おい・・・?」
「もうしゃべんなよ。アバラに響くだろ。明日も来るから」
そう言って坂本は顔を上げて、俺の額に額をくっつけてきた。
スキンシップが好きな坂本でも珍しい行為だった。
でも、嫌ではなかった。
むしろずっとこうしていたい。
「わ!」
俺のいきなりの行動に坂本が声を上げた。
額をくっつけてきた坂本の腰に手を廻し、そのままこの体の上へと抱きしめたのだ。
坂本の顔が俺の顔のすぐ横にある。
「か、葛西・・・」
「さすがに痛ぇな」
「当たり前だろ、馬鹿」
そう言いながら、坂本は頭を俺の肩にすり寄せてきた。
「離せよ・・・馬鹿」
「ああ・・・そうだな」
男一人の体重は流石にアバラに響いた。
俺は素直に坂本の腰から腕を解いた。
それでも、坂本は離れない。
「おい・・・?」
「・・・」
坂本が無言なのが気にかかる。
痛むアバラも置いといて、俺は坂本の頭を撫で続けた。
そしたら、また坂本は言った。
「好きなんだからな」
再び、同じ言葉に手が止まる。
どういう意味で言っているのか。
期待している意味合いで取っていいのか、いまいちよく分からない。
坂本は体を起こした。
「じゃ、また明日」
もういつものカオだ。本当にコイツはよく分からない。
それでも、いつも俺の隣にいるのだ。
「じゃあな」
そう告げると、坂本は笑顔を見せてから、俺の病室を後にした。
金はある。ずっと個室でいようかと思った。
何故坂本は泣いたのか、あんな表情をしたのか、あんなことを言ったのか・・・。
聞きたいことはいくらでもあった。
そして言えなかったこともあった。
俺は夕方の日差しさえまぶしく、腕で目を覆った。
「・・・俺もだよ」
退院してから学校へ行くと、漸く坂本の涙のわけと告白の意味を知った。
去っていく仲間達。
坂本だけが、隣にいてくれた。
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