葛西は屋上でパンにかぶりついていた。
いくら腹が立っていても、減るものは減るのである。
今は5時限目の授業が始まっている時間である。
葛西は当たり前のようにさぼっていた。
あの後、坂本が起きる前に保健室を出た。
写真は手に持ったままだった。
まっすぐ屋上に行き、4時限目をさぼった。
そして昼休みになり、リンが屋上に来て、爆弾を投下していったのだ。
「葛西、お前坂本の生徒手帳知らねぇか?」
「あん?そんなもん知らねぇよ」
「どっかで落としたみたいでよー。教室戻ってくるなり必死に探してんだよあいつ」
「そんなに大事なもんかよ」
「あーなんか写真挟んでたみたいだぜ?どんなんかは言わねーんだけどよー」
そりゃ言えないだろう。そりゃ言えないだろう。
いくら丸く収まったとはいえ、敵対していた学校のその張本人の男の写真だ。
それを今でも大事に持っているだなんて。
どんな突っ込みが待っているか。坂本はそういうのをめんどくさがる。
どうして持っているのか話すのがめんどうなだけで言わないが、それでも、必死に探す対象らしい、この写真は。
「そういうことだからよ、もし見つけたらー・・・」
葛西は無言で不機嫌なオーラを放っていた。
「じゃ、じゃあそういうことで!」
リンは兎になった。脱兎のごとく屋上から去って行った。
もう思い出したくもないことが、思い出される。
あの時、自分の傍に頑なに居ようとしなかった坂本が、前田の隣にいた。
後で知ったが、それは葛西の為に取った行動だった。
葛西を止める為に、坂本は前田を頼った。
葛西の痛みに、焦燥に。唯一気づいていたのが坂本だった。
今までの出会いの中、自分が選んだ男が坂本でよかったと、今殊更深く思う。
己が傷つくことなんて恐れず、全身で自分を止めようとした、坂本。
あの時は、戦うことしか出来なかった。
仲間の思いを信用することなんて、出来なかった。
坂本を、傷つけた。
そんな自分が変わるきっかけとなった、前田との、敗北。
坂本が前田という存在を大きく思っていても、それは仕方のないことかもしれない。
思い出したくもない男だが、自分にとってもその影響は大きかったのだ。
だが、それでも。
「大事に持ってんじゃねーよ、こんなもん」
全てを知ってから、葛西の中で坂本は一層「特別」な存在になった。
坂本も、示し続けてくれていた。
お互いの「思い」を初めて交し合った時からずっと。
その「思い」を。
自分の惚れている相手が他の男の写真を持っている。しかも無くしたら必死に探すレベルらしい。
腹が立つのはしょうがないではないか。
「普段頓着しねーくせに」
坂本が何かの写真を大事に持ち歩くなんて、今まで見たことがない。
そういうものに興味を持たないのだ、あの男は。
それなのに。
葛西は手に持っている写真を握りつぶそうとした。
「何見てんだ?」
あまりにも考え事に耽りすぎて、坂本がすぐ傍まで来ていたことに葛西は気づかなかった。
葛西が坂本の方を見るのと、坂本が葛西の手の中の写真を覗き込んできたのは、同時だった。
「これ・・・」
坂本が言いかける。
葛西は坂本から視線を外し、写真を坂本へと押し付けた。
坂本は、その写真を手に取りまじまじと見た。
「俺が持っていたやつと似てんなぁ」
「あ?」
葛西は再び坂本を見た。
坂本の言葉がおかしい。過去形になっている。
しかも、必死に探していたわりには、見つかった喜びも焦りもなにも感じられない。
ただ平然とその写真を見ているだけだ。
「持っていた?どーゆーことだよ」
「前田を探しに行く時2年に用意してもらったんだよ。顔も知らないで行くなんて、馬鹿だろ」
顔も知らないまま舎弟に前田を探しに行かせた葛西に、坂本は言う。
「確かこういう写真だったよ」
「・・・てめーそれどうしたんだ?」
「さあな。もう必要ねーし。・・・捨てた覚えはねーんだけど・・・」
そう言いながら、坂本の顔はどんどん不機嫌なものになっていった。
「なに怒ってんだよ」
「今でも前田の写真なんて持ってんのかよ」
坂本はその写真を葛西に押し付けてきた。顔は背けている。
葛西はなんだか笑いたくなってしまった。
おそらく、さっきまで葛西が抱いていたものを、今度は坂本が感じている。
「たまたま拾っただけだ。いらねーよこんなもん」
だから安心しろ、と、葛西は言いたかったが、だが思い出した。
「お前なんの写真探してんだよ?」
「あ・・・」
坂本が葛西の顔を見る。気まずそうに。
「坂本?」
「・・・」
少しの沈黙の後、坂本が口を開こうとした時屋上の扉が開いた。
「坂本さんいますか?」
扉から出てきた牧山が、坂本を見て表情を明るくし、葛西を見てその笑顔を引きつらせた。
「あ、か、葛西さんもいたんすね」
「なんだ?いちゃ悪ぃのかよ」
「いやっそーいうことじゃないっすけどっ・・・」
牧山は明らかに戸惑っていた。何故か葛西と坂本を交互に見ている。
坂本もわけがわからないようだ。
「どうしたんだ?牧山」
「リンさんから聞いたんスけど、坂本さんが生徒手帳探してるって」
「あ・・・」
今度は坂本が挙動不審になる番だった。
牧山と葛西を交互に見る。
「なんなんだよてめーら」
「いや、別に・・・それで?牧山」
「あの・・・見つかりました。廊下に落ちてたっすよ。・・・写真も入ってました」
牧山は、なんだか気まずそうに手に持っていた生徒手帳を坂本に差し出した。
「サンキュ。悪ぃな」
手帳を受け取った坂本はもういつも通りだった。腹を括ったらしい。
「いえ、それじゃあ失礼します」
牧山は一礼をして屋上を後にした。
「そんなに大事なもんなのかよ」
葛西は純粋に尋ねた。
坂本の様子が先ほどと明らかに違う。
牧山から受け取った生徒手帳をじっと見て、安心の表情を浮かべている。
「・・・まぁな」
坂本は手帳を開いて、中に挟んでいた写真を見て少し笑い、それを葛西に差し出した。
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