<<SS



夏の始めに 2









「今日も暑ぃなー。教室はエアコンきいてっからまだいいよなー。あー外出たくねー」
教室になにも考えていない平和な声が響いた。
リンは西島の前の席に座り、タオルで汗を拭っていた。
二時限目終了の休み時間。
リンが遅刻して教室に入ると、この学校の頭と、そして珍しくナンバーツーまでも教室には見当たらなかった。
「あぁ?葛西と坂本は?どっかでさぼってんのか?」
こうも暑いと授業なんて受ける気にならない。
あの二人が他のやつらとさぼっているなら便乗しよう。二人きりなら絶対近寄らないようにしよう。
そう心に固く決めて、リンは学ランを脱ぐとどっかの作業員にしか見えない西島に聞いた。
「二人ともまだ来てねーよ」
「なんだ二人して遅刻かよー。珍し・・・」
間延びした、やる気の無い声でリンが言いかけた時、派手な音を立てて教室の後ろのドアが開いた。
教室全体が凍りつく。
この教室でそんなことを出来るのは一人、いや二人だが、実際にするのは一人だけだ。
休み時間寛いでいた生徒が注目する中、鬼の形相で葛西は教室に入ってきた。
バンッと音を立てて薄い鞄を机に叩きつけ、そして無言の嵐の中、葛西はすぐに教室を出て行った。
再びドアが派手な音を立てて閉められた。
「ど・・・どうしたんだ葛西・・・」
リンは暑さとは全く関係無く汗だくになっている。
そしてこちらも。
「ああいう荒れ方は・・・喧嘩でもしたんだろ」
西島は俯いて、汗でずれるサングラスを必死に指で押し上げていた。



葛西が廊下を歩いていると三時限目を告げるチャイムが鳴り響いた。
だが廊下に出ている生徒はもちろん、教師も含め、不機嫌ですと顔に書いてある葛西に「教室に戻れ」と言える者は
誰一人いなかった。
葛西は不穏なオーラを出しながら、ドカドカと保健室に向かって歩いた。
こんな暑さの日に、屋上でさぼる程馬鹿ではない。



今朝、坂本は起こしに来なかった。
だが募る苛々のせいで眠りは浅く、二時限遅刻するだけの時間に家を出た。
坂本がどこで寝ていたかなんて知らない。確かめもしなかった。
開いている他の部屋か。一階のリビングか。
どちらにせよ、葛西はどこも見ることなく家を出た。
家にいても、坂本がいる。
そう、葛西のこの苛々の原因は、最近の暑さと、坂本だった。



葛西が乱暴に保健室のドアを開けると、先客がいた。
仕切りのカーテンが半分しかかかっていないベットに、誰かの足が見える。
葛西は舌打ちした。どこの誰かは知らないが、一人で休みたいのに邪魔をするな。
ひどく勝手で葛西らしい考えの下、葛西はそいつを追い出そうとベットに近寄り、また舌打ちをする羽目になった。
ベットには、坂本が横になっていた。
目はしっかりと開いていて、苦笑してこちらを見ていた。
坂本を見ると、昨日までのイラつきや不機嫌さは感じられなかった。
しかし葛西の苛々はそのままだ。
「てめー起きてんなら教室行けよ」
吐き捨てるようにそう言って、だが実力行使にも出ず、葛西は隣のベットに座った。
しかめっ面のままポケットから煙草を取り出す。
「保健室で吸うなよ、馬鹿」
「うるせー。さっさと出ていけ」
昨日のことについて、坂本から「ごめん」は無いような気がした。
葛西も別に謝って欲しいとは思っていない。
そして自分も謝る気はさらさら無い。
空調のきいている保健室で、坂本は苦笑して葛西を見ていた。
「お前さ、なんでそんなに不機嫌なんだ?」
自分の苛立ちをどこかに置いてきた坂本が葛西に聞いた。
葛西は腑に落ちなかった。
「てめーはどうなんだよ。昨日と別人じゃねーか」
「確かに苛々してたんだよなぁ。理由もわかんねーでさ。お前見るとすげー苛々した」
「喧嘩売ってんのかてめぇ」
「理由分かったんだよ。昨日別々に寝てさ」
「なんだったんだよ」
「キスしろよ」
「あ?」
唐突な言葉に、葛西は煙草を落としそうになった。
「原因分かったって言ったろ。キスしろよ」
支離滅裂に思える言葉だったが、葛西は理解した。自分がそうだったのだから。
「てめぇ・・・今更気づいたのかよ」
無意識に、自分でも気づかないうちに、葛西は坂本を気遣っていた。
自分で勧めた進学。勉強に忙しい坂本。
その邪魔はしたくない。
そして、この暑さ。
電気代を気にする坂本。
今の生活費は葛西の親の仕送りで賄っているようなもので、坂本はそれをずっと気にしているようで。
葛西としては坂本にそんなことを気にして欲しくはなかった。
だから家でエアコンを使うことも極力控えていた。
そんな風に、坂本を気遣っての行動が引き起こしたことは、触れ合えないということ。
この暑さではそんな気も起きないだろうと思っていたが。
お互い、触れたいのに触れ合えなかった。
同じ屋根の下にいて、それはひどく辛いものだった。
「お前が俺に気を遣ってくれてたのは分かってたし、なによりこの暑さだろ。やんなくてもいいって思ってたのにな。
分かんないもんだな人間って」
「馬鹿かてめぇは」
変な所で鈍い坂本に、葛西は苦笑して近づいていった。
普段は頭も切れるくせに。自分のことにはとことん鈍い。
原因もはっきりせずにあんなに不機嫌になれるのだから、もう笑うしかない。
言葉にするなら、愛おしいという感情。
でも葛西は、そこまでまとめるには、まだ子供。
お互いただ笑い合い、軽いキスを交わした。
「キスだけでいいのかよ」
「ここでそこまでする馬鹿じゃねーよ」
今日は家でエアコンをつけても、喧嘩にはならないだろう。
坂本の勉強も、一休みだ。



「二人が見当たらない時は保健室に立ち寄るなかれ」
過去の経験から何を学んだか知らないリンと西島の懸命な言い触れにより、二人は昼休みまで保健室で平和に授業を
さぼったのだった。






<<SS