その日葛西は一人で家へと向かっていた。
舎弟達と放課後喫茶店COREに寄り、その帰りに喧嘩を売ってきた他校の奴らをつぶしていたら、もう夕飯前の
時間となってしまった。
いつも隣にいるはずの影はない。
坂本は今日熱を出して学校を休んでいた。
ストッパーのいない乱闘は、葛西が喧嘩をふっかけてきた奴ら全員のアバラを律儀に折り終えて、幕を閉じた。
夕飯はコンビニにするか出前にするか、減った腹を擦りながら葛西が家の前の通りを歩いていると、門の前で
しゃがみこんで煙草の煙を空に吐きだしている男の姿が目に入った。
サラサラのストレートだった髪にパーマをあてた姿は、もう見慣れたものになっていた。
葛西は少し足早にその人影に近づいた。
「何やってんだ」
隣まで来て声をかけると、漸くその人影は顔をこちらへ向けた。
坂本の目は、気だるげだった。顔も少し赤い。
「待ってた」
坂本は笑顔でそう言って、立ちあがったが、足元がおぼつかなく倒れそうになった。
葛西はそんな坂本に腕を廻して支えた。
「はは・・・悪ぃ・・・」
葛西にもたれかかる坂本の体は、熱かった。
「熱あんじゃねぇのかよ。昨日ふらついて帰っただろ」
「家にいたんだけどな・・・落ちつけなくってさ・・・」
葛西は舌打ちをして坂本を家へと入れた。
坂本の家が不仲なのは中学の時から知っている。そんな家に坂本がいたがらないということも。
昔から坂本はしょっちゅう葛西の家に泊りに来ていた。それは今日のように、何も約束をすることなく、突然
訪ねて来たりすることも珍しくなかった。
坂本を部屋へ押し込んで、財布を持って葛西は立ちあがった。
「寝てろ」
「・・・どっか、行くのか?」
傍目から見ても坂本はだるそうだった。
「薬買ってくる。うちにゃねーからな。いつも何飲んでんだ」
その言葉に坂本は驚いた顔をした。そんな顔がなんだか気恥ずかしい。
葛西は目を逸らしたまま坂本から薬のことを聞き、鍵を持って家を出た。
葛西が帰ってくると、坂本はベットで横になっていたが、眠ってはいなかった。
「寝てろっつったろ」
「薬飲んでからちゃんと寝ようと思ってよ」
「ったく、ほらよ」
「悪い」
葛西は水と薬を坂本に渡し、そのままベットに腰かけて煙草に火を点けた。
「・・・お前また喧嘩してきただろ」
薬を飲んで坂本が言う。目は葛西の制服の袖をじっと見ていた。
「あ?」
「泥ついてる。洗わないとな」
「こんなんどーでもいい。ほっとけ」
「いつもすぐ汚すんだからよ・・・」
「うるせぇな。さっさと寝ろ」
葛西の袖を掴んでいる坂本の頭を葛西が押すと、坂本は「あはは」と笑った。
葛西は制服のポケットに手を入れた。
「坂本、手、出せ」
「何?」
横になろうとしていた坂本が素直に手を差し出した。葛西はその手に冷たい小さな金属を落とした。
「・・・え?」
「この家の鍵だ。今度から変な遠慮すんじゃねー。入りたきゃ入ってろ」
それはさっき薬を買うついでに葛西が用意してきた合い鍵だった。
これを坂本の為に作り、渡すのに躊躇いはなかった。
実質今この家に住んでいるのは葛西一人なのだ。葛西の次にいるのは坂本と言ってもいい。
もう門の前で坂本を一人待たせることはしたくなかった。
坂本はしばらくその鍵をじっと握りしめ、葛西の好きな笑顔で「サンキュ」と一言だけ言った。
まだお互いの想いを隠していた、一年の夏の前の出来事だった。
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