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SWEET V.DAY 1









「あ」
冷蔵庫を開けて坂本は声を発した。
時間はもう19時前。日はとっぷりと暮れている。
日曜日の今日。葛西と街をブラついて帰りにはちゃんとスーパーに寄ったというのに。
忘れていた。
卵が切れている。

廊下を挟んだ向こう側の部屋からは、先ほどからサンドバックを殴る音が響いていた。
葛西は物置だったその部屋を改造して、筋トレ用の器具やらサンドバックやらを持ち運びトレーニングルームに
していた。
今日他所と喧嘩をすることもなく終わった葛西は体力があり余っているらしい。
もうその音にも慣れてしまった坂本は別段気にすることもなく、夕飯のメニューの変更を考えたが、先ほど見た
光景を思い出した。
スーパーに特設されていた、明日の為のイベントコーナー。
坂本は自分の思考回路に一瞬頭を抱えたが、まぁいいかと鈍い音の響く部屋を覗いた。
「葛西、買い物行ってくる」
「買い物?またか?」
振り向いた葛西の額には汗が光っていた。
「卵切れてたんだよ。晩飯ちょっと遅れるけど、いいか?」
「かまわねーよ」
深く追求することもない葛西に「行ってくる」と手を振って、坂本は家を出た。



「葛西さん!これ受け取って下さい!」
教室に、もう何度目になるか分からない声が響いた。
貴重な休み時間、今日はその時間ごとに、舎弟共がこの学校の頭にその敬愛の意を示していた。
葛西は休む間もなく、屋上へ行く暇もなく、その手渡されるものを律儀に受け取っていた。
「すげーな、葛西」
坂本の前の席に座りこみながら、リンはその光景を見ていた。
「机や下駄箱にも山積みになってたろ、朝。まだまだいるんだなー。チョコ持ってくる奴」
「あいつはこの学校の頭だからな。しょうがねーんじゃねーの」
「お前だって山ほど貰ってただろ」
アッハッハ、と、リンは坂本を見た。
今朝、リンは昇降口と教室で、大量のチョコレートをゴミ袋に詰めている二人を目撃していた。
ゴミ袋を苦笑しながら葛西に渡している坂本も。
そう、坂本は笑っていたのだ。だから気付かなかった。というか、今気付いた。
坂本の目が据わっていることに。
明らかに不機嫌な目で、坂本はチョコを受け取っている葛西を見ていた。
ガンを飛ばしていると言ってもいいくらいだ。
「さ、坂本・・・?」
リンは冷や汗がダラダラと背中を駆け降りるのを感じた。
腕を組んで睨みをきかせている坂本は、正直怖い。
「なんだよ」
頼むからそんな目でこちらを見ないで欲しい。俺は何もやってない。
リンは懸命にも言葉を繋げた。
「い、いやっ。それにしても珍しいなー!葛西が受け取るなんてよ!去年なんか持ってきた奴蹴っ飛ばしてたじゃ
ねーか!」
「俺が受け取れっつったんだよ」
「ええ?!なんで?!」
「可哀想だろ」
あまりにも簡潔な答え。
坂本らしいと言えば坂本らしい判断だと思えたが、リンはふと考えた。
「お・・・お前はいいわけ?」
「何が」
投げ捨てるように逆に問われ、リンの体は竦んだ。
「い、いや!なんでもねぇ!じゃあ俺席に戻るわ!」
ガタガタと椅子を鳴らして自分の席に戻るリンを横目で見て、(わざわざ)近くの席に移動して聞き耳を立てて
いた西島はため息を吐いた。
いいわけねぇだろ。坂本の様子を見れば一目瞭然だ。
だがこれで疑問が解けた。
どうして葛西が去年と違いチョコを受け取っているのか。後輩が教室までチョコを持ってこれるのか。
恐らく今朝一番に葛西が手渡されたものを受け取った時点で、話が広まったのだろう。今年は葛西は受け取ると。
疑問は解決したが全然爽快にならない胸を抱えて、西島は席に戻った。
チラリと坂本を見ると、やはり不機嫌に腕を組んで押し黙ったままだった。



「何怒ってんだよ」
5時限目。葛西はイライラと隣の席に話しかけた。
「別に」
坂本は葛西の方を見ようともせず言った。
葛西も坂本の不機嫌には気づいていた。坂本はずっと押し黙っている。昼休み屋上へ誘ったら無視してどこかへ
行ってしまった。
「てめーが言ったんだろ」
「知らねぇよ」
「てめぇなぁ!」
葛西は勢いよく立ちあがった。ガタンと椅子が倒れる。教師も生徒もギョッとして後ろの席を振り返った。
「てめぇが受け取れっつったんだろ!俺はこんなもんいらねーんだよ!」
坂本も負けじと立ち上がる。
「人のせいにしてんじゃねぇ!嬉しそうに受け取りやがって!」
「誰が嬉しそうだ!メ―ワクしてんだよ俺は!どーすんだこの量!」
「知るかよ!一人で食って腹でも壊せ!」
「フザケんな!てめーだって大量にもらいやがって!俺がむかついてねーとでも思ってんのか!」
「不可抗力だろ!勝手に積まれてあったんだから!そもそも俺は今年は一個も手渡されてねーよ!」
「それはなぁ!」
「なんだよ!」
教室に凍てついた空気が流れた。
正道館一恐ろしいこの喧嘩に口を挟めるものは誰もいない。
ギリギリと睨みあった後、葛西は舌打ちをして教室を出て行った。
ドアが派手な音を立てて閉じられる。よく壊れないものだと誰もが感心した。
坂本がドカリと椅子に座った。
教師は怯えながら授業を再開した。



休み時間、リンは西島に寄って行った。
坂本は先ほどから微動だにしない。
「な・・・なぁ、坂本に言った方がよくねーか?」
「あのことか・・・」
「ぜってー言った方がいいって。このままじゃ怖えーよ」
「そうだな・・・誰かが巻き添えにされる前に言っとくか」
こんな恐ろしい痴話喧嘩に誰かが巻き込まれたとしたら。
もしかしたらそれは自分に降りかかるかもしれない。巻き添えは嫌だ。死んでも嫌だ。
二人は意を決して、不穏なオーラを醸し出しているこの学校のナンバーツーに歩み寄って行った。






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